世の中には、
・頭を使ってお金を稼ぐ
・体を使って労働でお金を稼ぐ
・お金をテコにしてお金を稼ぐ
3つの稼ぎ方あります。
「お金=悪」という先入観にとらわれている人は、
・体を使って労働でお金を稼ぐ=善
・頭を使ってお金を稼ぐ=悪
・お金をテコにしてお金を稼ぐ=悪
このようにとらえる傾向があるのですが、どう思われますか?
もし「正しいと思うよ」と考えているのであれば、かなりマズいです!
パラダイムシフトとは、自分の中で当然だと思っている価値観から、まったく別の新しい価値観に映ることです。
これから何らのビジネスをして稼いでいこうというのであれば、「お金=悪」という考え方から「お金=善」という考え方にパラダイムシフトする必要があります!
お金の本質は?
大昔の人類は、何もせずに食べ物を手に入れることはできませんでした。
そこで狩猟をしたり、木の実や果物を採ったり、そして作物を育てて食べ物を得てきました。
その後、自分では手に入れることができないモノで、他人が持っているモノを、自分の持ちモノと交換する物々交換が行われるようになります。
ただ、物々交換では不便なことが多々あったため、金や銀などのお金を使って交換する方法が生まれました。
そして国が発行する紙幣や硬貨が生まれ、いまの経済が成り立っています。
何が言いたいかといいますと、お金はモノを交換する時に使う手段であり、「お金は良いもの」「お金は悪いもの」などのような考え方・概念を持つことはおかしいということです。
お金の稼ぎ方に偏見を持っている
安定した生活を送るために、必要最低限のお金が必要です。
そのためには労働した対価として給料をもらいます。
これは立派なお金を稼ぐ行為です。
ただ、「お金=悪」という考えにとらわれている人は
「自分で汗水たらして得たお金と、楽をして稼いだお金は別物だ!」
こんな先入観があります。
そもそも、『勝手に楽して稼いでいる』と思っている起業家や投資家は、何の行動もせずにお金を稼ぐ仕組みを手に入れたのでしょうか?
違いますよね?
起業家であれば起業準備をして、起業しても苦労に苦労を重ねてビジネスを成長軌道に載せたでしょう。
株の投資家であれば、人の何倍も勉強して、何回も失敗を繰り返して、稼げる仕組みを作り上げたことでしょう。
つまり、「お金=悪」という先入観にとらわれている人は、親の財産を相続したお金持ちと、ゼロから努力やたくさんの試行錯誤の末に富を築いた人を混同しているのです。
例えば、ゼロから苦労して稼いで貯めたお金を使って、アパートを一棟買いして、家賃収入を得ることは、憎悪の対象になるのでしょうか?なりませんよね?
お金を稼ぐことを労働にすることだけに頼りすぎるのはリスクです。
『お金を増やす仕組みを作る=ビジネスをする』という戦略を取った人は、最小の労力でお金を稼ぐことができています。
『朝から晩まで、額に汗して働くことは善』、『パソコンのキーボードを叩いて株で金を稼ぐ悪』、このような考え方・先入観を改めえるようにしましょう。
「お金を稼ぐ=悪」と「清貧」の関係
「清貧」という言葉の勘違い
「清貧」という言葉の意味をご存知でしょうか?
実はこの言葉の意味を勘違いしている人が、
・「お金を稼ぐ=悪」
・「お金は暮らせるだけあれば良い」
・「たくさんのお金を持つと必ず不幸になる」
・「お金持ちは貧乏人から搾取している」
などの先入観にとらわれているのです。
そもそも「清貧」は、
「貧しい暮らしをしていても、人のことを妬ましいと思ったり、盗みなどの企みをすることなく、心を清らかに平穏にしましょう」
という意味です。
実はこの意味がどこかで、
「心を清らかに平穏に暮らすためには、貧しい生活のほうが良い」
と、「貧しいことは良いことだ」と変わってしまったのです!
事実とは大きく異る先入観にとらわれているので、
・「お金を稼ぐ=悪」
→「お金は稼ぐなんてもってのほか!」
・「お金は暮らせるだけあれば良い」
→「貧しいことが美徳なので!」
・「たくさんのお金を持つと必ず不幸になる」
→「悪い人に騙されたりして、貧乏人以上に不幸になるに違いない!」
・「お金持ちは貧乏人から搾取している」
→「働きもせずに搾取したお金で、贅沢三昧の暮らしをしているに違いない」
まさに『お金持ちを全否定、貧乏人を全肯定』状態です。
「清貧」という先入観を疑うべし
そもそも、貧しい人は心が清らかで、お金持ちは心が汚れている、ということ自体が、よくよく考えるとおかしいですよね。
そして貧しい人にとって、お金持ちは不倶戴天の敵であるかのような解釈もおかしいですよね。
「清貧」の先入観にとらわれている人は、昔の封建社会のように、農民と貴族のような身分の差で生じる貧富の差が、現代日本でも存在していると信じています。
それは昨今の中産階級の消滅による、貧乏人とお金持ちの二極化の進行を身分差によるもののように勘違いしているからに他なりません。
封建社会の世であれば、身分を変えることができないので、貧富の差も変えることができないわけです。
一方で現代日本では、身分というものが存在しないため、貧富の差も努力とチャンスを掴めば変えることができるのです。
貧しい農民の家に生まれた人が、事業で大成功して大金持ちになった話など、書店に行けばいくらでも棚に並んでいますよね。
「清貧」はミニマリストのための言葉
むしろ「清貧」は、ミニマリストのような生活スタイルを送る人に、ふさわしい言葉なのです。
ミニマリストの人は、部屋の中でスペースを取る、かさばるモノを手放して、生活するために必要にして十分なものだけを置く、そんな生活スタイルを送っている人のことです。
ミニマリストの人は、収入が少ないからモノが買えないのではなく、必要だと思うものは値段の高い安いは関係なく買います。
「清貧」ではなく「清豊」という生き方を目指そう
収入が少ない、貯金が少ないことを嘆く気持ちは分かりますが、それは過去から現在まで行動してきた結果であることを受け入れる必要があります。
これからは収入を増やして、身も心を豊かになることにフォーカスしましょう。
・「あんな家に住めたらいいなあ」
・「こんな車に乗れたらいいなあ」
のような願望ではなく、
・「頑張って収入を増やして、必ず一戸建てに住む!」
・「頑張って収入を増やして、必ずこの車を購入する!」
実現を前提とした言葉を使うようにしましょう。
まとめ
「お金=悪」だという先入観は、そもそも感情に起因しているものです。
冒頭の
・体を使って労働でお金を稼ぐ=善
・頭を使ってお金を稼ぐ=悪
・お金をテコにしてお金を稼ぐ=悪
3つの稼ぎ方の回答も、人によって千差万別でしょう。
そもそも善悪は、社会のモラル・ルールに則しているかで決まります。
頭を使ってオレオレ詐欺で稼ぐのは当然悪ですが、料理の手間が軽減できるグッズを発明して稼ぐのは善ではないでしょうか?
要は、人に感謝されることをすれば、どんな方法を使って稼いでも良いのです。
そこに労働時間の長い短いなどは関係ないのです。
『お金を稼ぐこと=悪』ではなく、『お金を稼ぐことは世の中に貢献すること』ですので、ぜひ間違った先入観から脱するためにパラダイムシフトをしましょう。